風が強く吹き付け、雨がパラパラと降る日でした。
天候に導かれるように、私は奄美パークにある「田中一村記念美術館」で一日を過ごすことにしました。
この天候すらも、一村の世界に没入するための演出だったのかもしれません。
伝統建築「高倉」が浮かぶ、静謐な空間
敷地に立つと、丸みを帯びたドームのような建物が3つ、目に飛び込んできます。
奄美の伝統建築「高倉」をモチーフにした建物は、まるで水盤の上にふっくらとした傘のような丸いフォルムの塊が浮かんでいるかのよう。
一歩足を踏み入れ天井を見上げると、サトウキビの繊維などが漉き込まれた和紙が丸く弧を描き、柔らかな光を透かしています。室内全体にふんわりとした「丸い優しさ」が満ちていました。
展示室は、一村の生涯の軌跡をそのまま辿れるよう、3つのブースに分かれています。
- 東京時代
- 千葉時代
- 奄美時代
不遇と言われた時代を象徴する静らかな初期の空間から、奄美に移住して一気に色彩が開花する最晩年の空間へ。進むにつれて、建築の持つ独特な静寂と濃密な空気が、作品の魅力をいっそう引き立てていきます。
神童のデッサン力と、名もなき人々が守った「襖絵」
驚かされたのは、彼がわずか9歳で描いたという『蛤(はまぐり)』です。「神童」の名に違わぬ圧倒的なデッサン力を、間近で生々しく感じることができます。
そして、館内で見られる見事な「襖絵(ふすまえ)」。
一村の絵は、生前は世間的にはまったくの「無名の画家の絵」でした。
それなのに、なぜこれほど美しい状態で残っているのか。
それは、奄美の住人たちが、お国自慢や見栄のためではなく、一村の人間性と画力に心底惚れ込んでいたからです。「身近な生活調度品」として、日々の暮らしの中で何十年も大切に保管し続けていたのでした。
個人の方々の深い愛情があったからこそ、一村の没後にブームが起きた際、数多くの襖絵が傷つくことなく良好な状態で発見され、現在の美術館コレクションへと繋がっています。
生き物のように迫り来る「線」と「厚塗り」
館内では、彼の代表作である『不喰芋と蘇鐵(くわずいもとそてつ)』や『アダンの海辺』なども鑑賞することができます。
間近で見るその絵は、ゴツゴツとした質感の、激しい厚塗り。
ふちを凝視すると、針のように鋭いトゲの一本一本まで、完璧な「白抜き(彫塗り)」と「墨線」で克明に描き分けられています。
背景にある遠くの海や空は、日本画らしい静かなグラデーション(暈かし)です。手前の「厚塗りの植物」が、まるで意思を持った生き物のように、こちら側に飛び出してくるような錯覚を覚えます。
伝統に命を吹き込み、西洋のパワーを取り込んで、誰も到達できなかった新しい日本画を作ろうとした一村の凄まじい執念。それが、この「線」と「厚塗り」に宿っていました。
閻魔大王への土産物
一村は、こんな言葉を残しています。
「私は生きてるうちの栄誉なんてどうでもいい。私の絵の本当の価値は、死んでから閻魔様が裁いてくれればそれでいい。これは閻魔大王への土産物なんだ」
魂を削り、ただただ絵を突き詰めた男の言葉が、胸に深く刺さります。
美術館を出たときも、外はまだ強い風が吹いていました。
心がこれほど激しく揺さぶられるのは、天気のせいだけではないでしょう。一村の執念と、彼の絵を愛した島の人々のぬくもりに、触れられた時間でした。



コメント